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北野唯我さんの「天才を殺す凡人」を読みました。

物語形式で書かれていて、とても読みやすく、ポイントとなるところは、最初と最後に解説があるので、後から内容を確認しやすかったです。

「天才を殺す凡人」を読んで気になった文章はコチラです。

それぞれについてみていきましょう。

 

多数決は『天才を殺すナイフ』

会議

「天才を殺す凡人」では、会社で働く人の才能を「天才」「秀才」「凡人」の3種類に分けて、それぞれの立場で何をすれば良いのか解説しています。

「凡人」は秀才のことを天才と勘違いしています。

秀才は論理的で再現性を重視します。

数値化できることが得意なので凡人からすると、優秀だなぁ、と感じます。

面白いのは、「凡人」は天才のことを理解できずに排斥してしまう、というところです。

「天才」は凡人に理解して欲しいと近寄っているにもかかわず、です。

天才の考えることは新しい評価軸を作るような独創的なことなので、凡人には理解できません。

「馬鹿と天才は紙一重」というのは、凡人の感想なんでしょうね。

凡人には見えない世界が天才には見えているそうです。

しかし、人数比でみると、天才 < 秀才 < 凡人、となり、圧倒的に凡人が大多数です。

凡人は秀才を近いできて優秀だと思っているので、天才と秀才が争うことになれば、秀才を支持します。

凡人は天才を理解できないので、多数決になれば、天才が圧倒的に不利です。

結果、多数決では天才の才能を活かしきれないことになります。

革新的なアイデアで創業した会社でも規模が大きくなると面白くない会社になってしまうことがあります。

原因は「多数決」ですね。

 

人生は配られたカードで勝負するしかない

ピラミッド

「人生は配られたカードで勝負するしかない」

この言葉、どこかの本でも似たようなフレーズを読んだような気がする。

「天才」「秀才」「凡才」は役割を分類しているだけで、優劣を評価しているものではない。

自分の才能を見極め、他の人の才能を理解し、良いコミュニケーションを構築するしかない。

凡人が天才になる必要もないし、秀才にならなくて良い。

凡人として活躍できるフィールドがたくさんあるのだから、そこでパフォーマンスを発揮していくだけ。

怖いのは、自分を凡人だと認めたくない人。

独創性を身に付けようと必死になるよりも、共感力を磨いた方が成果が上がりそうです。

 

天才は物理で生き、秀才は法律で生きる

中間管理職

天才は理系で秀才は文系、ということではない。

「天才は物理で生き」というのは理解できないが、「秀才は法律で生きる」は大いに納得できる。

やはり、私は凡人なのだろう。

基準を超えた存在と、基準で評価される存在の違いでよいのだろうか。

言い換えれば、天才は正解のない世界で生き、秀才は正解のある世界で生きる、となるかも知れない。

私が知っている限りでは、天才はテレビの中にしかいない。

身の回りで見たことがない。

ひとりでも天才と出会っていたら、人生が変わっていたかもしれない。

凡人だから、天才だったことさえも気づかなかった可能性がある。

 

天才を殺す凡人を読んで考えた社内SEに向いている人の才能

プログラマー

プログラマーにも「天才」「秀才」「凡人」の分け方ができると思う。

天才のコードは読みにくい。

とんでもないロジックを思いつくみたいで、凡人には理解できない。

秀才のコードはお手本通りだ。

そして、凡人は、いつものところで間違える。

プログラミングの世界では、天才は凡人の100倍効率が良いと言われている。

しかし、社内SEに限定すると違ってくる。

社内SEは、共感性の高い凡人に向いている。

管理者として秀才も必要だと思うが、天才はいらない。

天才が社内SEをやっていたとしても宝の持ち腐れだろう。

日本は、天才が育ちにくい「お国柄」と言われることがある。

どの分野でも、天才は必要だが、天才ばかりが必要な訳ではない。

会社にひとりいればいいかな。

そして、その天才が認められて、のびのびと才能を発揮してくれれば良い。

凡人ばかりの会社だと天才は評価されないので、出世できないかも知れないが、会社が存続するには必要不可欠な人材だ。

天才を育てていける余裕が企業には必要なんだろうなぁ、と思う。

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